田中研究室(生体・機械システム)

生体系の巧みさを理解し,
機械系を設計・計画する.

【研究テーマ】●運動機能評価と義肢装具の機能設計

       ●生体適応現象の計算力学モデルとシミュレーション

       ●生体における構造システムの力学特性評価

       ●適応構造システムの機構設計と運動解析・計画

       ●構造物の設計における最適化,知能化,適応化

       ●ヒトの設計活動を支援するアシスタントシステム





生体システムと機械システム

 自然の産物である生き物には,何らかの柔らかさがあり,人工物である機械には,少なからぬ硬さがある.非常に直感的な物言いであるが,それほどはずれているわけではなさそうである.この違いはどこにあるのだろうか.
 先進技術に支えられた機械系のシステムは,もちろんそれが果たすべき役割にうまく適合した機能を発揮するように,設計され,製造され,また実際に運用されている.しかしながら,一度設計や製造が完了したならば,故障や損傷などの劣化現象を除いては,機械システム自身が変化することはない.もちろん,外部から保全や修理,改造を行うことはもちろん可能であり,またシステムの運用の仕方にも調節の余地はあるが.




リモデリング

骨における力学的刺激と再構築の概念図

 これに対して生き物は,その周囲の自然環境の中で実にうまく適合しているように見える.単にうまく適合しているだけでなく,周囲環境の変化に対しても適応していくようにも見える.すなわち,生き物は自らを変化させ,合目的的構造を構築し,また,それを維持するというすばらしいメカニズムを持っている.
 おそらく我々が漠然と感じる,機械システムと生体システムの違いは,単にそれぞれのシステムを構成する素材,材料としての硬さ,柔らかさだけによるものではないのであろう.機械システムがなにがしかの柔軟さを獲得してきた過程で,自然に存在する生き物のシステムからたくさんの発想を得てきたが,機械システムを我々にとってもっと身近に感じる柔らかなものとするためのカギも,生き物のシステムに見いだす可能性がある.


 

 

大腿骨

ヒト大腿骨骨頭の断面

骨構造の合目的性:
 骨は緻密な皮質骨と空隙を多く含む海綿骨とから構成され,皮質骨は骨の外側に,海綿骨は皮質骨の内側にある.海綿骨は骨梁と呼ばれる小さな梁状の要素で構成されており,それらはほぼ直交する曲線パターンを示している.このパターンは,骨構造における荷重の主たる伝達の方向を示す主応力線と非常に類似している.このことから,骨の構造は力学的な合目的性を持っており,それは最小の材料で最大の強度を達成するような最適な設計が実現されているとの説が提出されている.このような目的に適った構造形態を形成し,維持するメカニズムの解明とその工学設計への応用は,生体工学と設計工学の双方にとって興味深いテーマである.



システムモデリング

 ヒトが作り出した機械システムは,単一のエレメントで構成される単純なツールから始まったのであろうが,今日我々が目にする機械システムへといたる長い発展の過程で,複合化,高機能化,大規模化と言う方向を進んできた.精密化,細密化,細小化ももう一つの発展の方向である.両者は一見したところ互いに反対の方向を指向しているように見えるかもしれないが,システムの構造が複雑化してきたと言う意味では,同じと理解することができよう.
 一方,自然に存在する生体システムは,本質的に複雑な構造を持っている.たとえば,我々の体は多くの器官から成り立っており,ここの器官はさらに幾種類もの生体組織から構成されており,これを細かく見てゆくと,いずれは細胞やさらに小さな単位である蛋白質などのエレメントへといたる.機械システムも生体システムも高い機能を有するものは,それに見合った構造複雑性を持っていることになる.
 システムを構成するハードウェアをどんどん細かく分解していくと,いずれは分子・原子の世界にたどり着く.すると,分子・原子のふるまいを理解すると,どのようなシステムのふるまいも理解できたことになるかと言うと,そうはうまくゆかない.いろいろなシステムの持つ機能は,エレメントのふるまいに依存するのはもちろんであるが,それが構成するサブシステム,サブサブシステムなどの構造に依るところが多く,構造を理解すること無しに,システムを理解することはできないといっても過言ではない.
 システムはそれだけが孤立して存在するわけではなく,それがおかれた周囲環境の中で機能を発揮する.したがって,人工の機械システムであれ,自然の生体システムであれ,システムを対象とする場合には,どこまでが対象システムの範囲であり,どこからがその周囲環境であるかを明確にすること,システム自身の構造と,その周囲環境との相互作用とを把握することが大切であり,それを明確に記述するシステムモデリングは,その根幹である.
 力学(メカニクス)は機械科学(メカニカルサイエンス)の基本学理であり,機械システムはもちろん機械科学の対象である.したがって機械システムのふるまいを取り扱うにあたっては,メカニクスの視点が不可欠である.このことは生体システムでも同じである.たとえばスポーツトレーニングによる心肺機能,筋力の増強,骨格系の成長増進,あるいはスポーツ肘や膝として知られるトラブルは明らかに力学的因子が原因となっている.このような負荷ではなくとも,我々は生まれる前から地球の重力という負荷を無意識のうちに受けており,そこで健常な状態を保っている.実際,無重力の宇宙空間で生活をすることがヒトに大きな変化をもたらすことはよく知られている.すなわち,自然界という力学環境におかれた生体システムのふるまいを理解するためには,力学学理に基づくそのシステムモデリングの枠組みを忘れてはならない.

 

 


顎関節システムの個人別の力学モデルとシミュレーション:
 顎関節は,上顎骨と下顎骨の間に位置し(左上図),会話や食事といったごく基本的な生活の中で,ほとんど休みなく働く重要な関節の一つである.顎関節の障害は,関節構成要素,特に軟組織である関節円板のバイオメカニカルな変性と密接に関連しているが,関節内部の力学状態を非侵襲に計測することはほとんど不可能である.非侵襲な磁気共鳴描画(MRI)による関節の構造形態観察(左下図)から,顎関節システムの具体的な力学モデル(中図)を構築するならば,コンピュテーショナルバイオメカニクス・シミュレーションにより,関節運動の各ステップにおける関節円板の力学状態の変化の様子をうかがい知ることが可能となる(右図).このようなアプローチでは,各個人毎のシステムモデルに基づいて,顎関節内部の状態を具体的に調べることが可能となるため,機能障害の詳細な解析や,診断支援への展開が期待されている.



シミュレーション

 対象システムのモデリングはそれ自身重要な問題であるが,それに基づいてシステムのふるまいや機能を明らかにし,設計や計画の問題を考える基礎を与える一つの段階でもある.システムのふるまいや機能を調べるための方法論としては,実験的方法,理論的方法,計算的方法がある.システムのモデルを数理的に書き表したならば,それを理論的に解析するのが基本的アプローチである.古典的な理論解析が可能となるためには,理想化,孤立化,単純化,抽象化をシステムモデリングのガイドラインとするのが普通であり,これは複雑なシステムの基本的性質を調べるにはもちろん有用であるが,システムを構成する個々を含めてそのふるまいを具体的に調べると言う意味では少なからぬ制約ともなる.
 一方計算的方法においては,理論的方法と同じく数理的に表現したモデルに基づいてシステムのふるまいを調べるが,具体化,詳細化,即物化をモデリングのガイドラインとすることができる.すなわち,システムを構成する個々のエレメントのふるまいと,それらの相互作用をそのままに記述することで,システム全体のモデリングとする.これは写実的モデリングとも呼ばれ,対象システムで生起する現象のすべてを忠実に写し取ることを究極とする.このようなシステムモデリングは必然的に,対象システムの複雑さと同じ複雑性を持つことになるから,クラシカルな理論解析の道具立ての中には収まりきれない.ここで頼りになるのが,数値シミュレーションに立脚する計算的方法である.

 

 

 

 機械システムや生体システムで生じる現象は本来分布定数系であり,数値シミュレーション手法ではこれらをシステマティックに離散化して取り扱うことから,集中定数系への先験的離散化の必要がないことが特徴である.コンピュータ・エイディッド・エンジニアリングの分野で確立されてきた数値シミュレーションの方法は,機械システムはもちろん,生体システムのふるまいを調べる上でも,有用な標準的ツールである.
 いわゆるクラシカルな意味での解析は,既知のシステムに既知の入力が作用したときに自然法則に従って対象システムで生起する現象であるシステムの出力を調べるものである.これをシステムモデルに基づいて行うということは,システムのふるまいを支配するメカニズムの本質がすでに数理的に記述されている場合にしか可能ではない.すなわち,システムのモデリングが完了したならば,このような解析の根本的な部分は終わっており,後は種々のケーススタディーを行うだけとも言えよう.
 これももちろん重要なことであるが,この段階に至るためには,システムで生起する現象からそれを引き起こすシステムのメカニズムを調べるというシステム同定が先行しなければならない.これはシステムモデリングに他ならないが,これを実際に行うためには,そのシステムのふるまいの詳細かつ具体的なシミュレーションが必要となる.すなわち,シミュレーションはモデリングを必要とし,モデリングにはシミュレーションが必要となるという,表裏一体の関係が両者には存在する.これがアナリシス・バイ・シンセシスであり,シンセシス・バイ・アナリシスを補完している.

 

 

最適構造設計:
 生体の骨が力学的に適合した構造を持つことは先に述べた.人工的な構造物の設計でも,目的に適合した良い設計にしたいと考えるのは,自然なことであろう.より良い設計を追求すると,最も良い設計(最適設計)の探求へといたる.限られた材料を効率よく配置することで,最も変形しにくい剛性の高い構造設計を考えると,例えば左上図のように材料の分布を最適化すれば,左下図に示すように応力状態と適合した構造が得られる.また,細長い柱構造の端に推力のような接線方向力が作用する場合,荷重が大きくなると振動が発散する動的不安定現象が生じるが,断面形状の最適化を行うと,体積,重量は同じでも,安定限界が改善でき,より大きな荷重に対しても振動が減衰する安定な構造となる(右図).



最適・適応システム

 機械システムを設計したり運用したりする場合には,できるだけ良い設計をしたい,良い運用をしたいと考えるのは自然なことであろう.その意味で,機械システムの設計や運用のプランニングには最も良いもの,最も目的に適合したものが目標とされる.すなわち,最適性がキーワードとなる.一方自然にある生体システムは,誰かが設計や運用のプランニングをしてくれたり,教えてくれたりするわけではないが,これをうまく実現しており,適応性を持つと言われる.
 適応と言う言葉の意味を調べると,1)その状況に適うこと,相応しいこと,あてはまること,あるいは,2)生物が環境に適合するよう自己の形態・習性を変化させる現象,と説明されている.いわゆる適応という言葉には,第二の意味の印象が強い.機械システムでは,第一の意味で適応した状態で設計,運用されているが.第二の意味が生物に限定して説明されていることから見ても,機械システムが適応という言葉に対応しているかどうかはいささか怪しい.しかしながら,良い設計や運用のプランニングには,適応性は重要な概念であり,もう一つのキーワードとなる.

 

 

 

 

 最適性だけでなく,適応性を機械システムに取り入れようとする展開が積極的に研究されており,運用のプランニングの一つであるコントロールではさまざまな展開が図られている.設計の分野にもこのような試みが始まっており,設計対象のシステムに適応性を組み入れる方向と,設計のプランニング過程に適応性を実現する方法とがある.ここでは生体システムの組織,器官,あるいは個体レベルでのさまざまな適応性を参照し,そのメカニズムを機械システムに模倣,あるいは模擬する理論体系が模索されている.これらは適応,学習,進化,創造,創発などの多様な用語で議論されるが,これまでに確立されてきた数理的なプログラミングを補完するメタヒューリスティックを構成するものである.
 これから設計あるいは運用するシステムのモデリングを行えば,それに基づくシミュレーションをツールとすることができるから,その設計や運用のプランニングが目的とする機能を達成しているかどうか,プランニングの変更がどのようにそのふるまいを変化させるか,あるいは,ふるまいを望む方向に変化させるためにはどのようなプランニングを変更すればよいか,などを具体的に調べることができる.また,プランニングのための数理モデルとプログラミングの方法を利用すれば,プランニングの良さを明確化,定量化し,その最適化をシステマティックに行うことができる.

 

 

適応トラスの構造形態の設計と動作のプランニング:
 骨組み構造であるトラスは,少ない材料で大きな荷重を支えることのできる優れた構造物の一つであり,大規模宇宙構造物ではこのトラス構造が主要な部分を作ることになる.宇宙のような極限環境では,地上の構造物のように適宜,ヒトがその機能を維持,強化,回復させるような対処をすることが容易でないことから,このような構造物には必要に応じて自らの構造や機能を変化させる適応性が要求されている.構造物の形態はその設計時に考慮された状況に対してはもちろん適合するように決定され,構築されるわけであるが,長期にわたる運用の過程では,構造物が果たすべき役割も変化することになる.適応トラスの概念は,このような構造機能変化の要請に対して,適応的に構造形態を可変とすることができるようなものを指している.形態変化をより積極的に活用するならば,クラシカルな意味での構造物であるだけでなく,スペースクレーンやマニピュレータとしての役割も果たすことができる.このような場合には,構造物の設計と運用のプランニングにも最適性とともに適応性が必要になる.



《研究スタッフ》

教 授/田中 正夫

助 手/東藤 正浩

技 官/志茂大治郎